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【連載】文房具百年 #73「紫鉛筆と毒の話」

たいみち

ぼんやり知っていたことを調べたら


 古い文房具を集め始めた当初から、なんとなく耳にしていた話がある。紫色の文房具で昔事故があり、使用禁止になったという話だ。なぜか「絵具」だと思っており、以前連載に書こうと調べたことがあるが、絵の具に関する有害性について特段目立った事故などは見つからなくて、そのままになっていた。
 その後問題の文房具は紫のコピー用鉛筆らしいということがわかり、やっと使用禁止に至った経緯がわかったので、ここで紹介しよう。

202606taimichi1.jpg*大正頃の紫のコピー用鉛筆

コピー鉛筆と「毒の話」


 まずコピー鉛筆とは何かを簡単に説明しよう。名前の通り、書いた内容をコピーできる鉛筆だ。芯が通常の鉛筆芯と異なり、水に溶け、且つ浸透力が高い性質で、紫の他に赤、青、緑などいろいろな色がある。「濡らすとインクになる芯」というのがわかりやすいだろう。
 書いた部分を濡らし、複写する紙を押し付けることで、インキが別の紙に浸透してコピーされる。紙に直接移すのではなく、ゼラチン状のこんにゃく版に移して、そこから他の紙に写す方法もある。
(※以前こんにゃく版を作ってコピーする実験を行っているので、よかったら「やってみた!100年前のコピー」https://www.buntobi.com/articles/entry/series/taimichi/013435/ を参照いただきたい。)

 この特殊な芯にはアニリン色素が使われており、アニリン色素は19世紀半ばに登場した「アニリン」を原料とする世界初の人工合成染料だ。そして、コピー用で使われているのは鉛筆になっているものだけではなく、芯のみ(芯ホルダー用など)もあるし、コピー用インクもある。
 そんなコピー鉛筆に、いつ何が起きたのだろうか。長年気になっていたことを、明治37年発行の「毒の話 : 日常衛生」※1に詳しく紹介されているのを見つけることができた。 発生したのは、明治35年(1902年)。ある中学生が、紫のコピー鉛筆を削っている時に芯のかけらが眼に入ってしまった。紫の涙が出て、ひどく腫れてしまったので数日後眼科に行ったが、治癒せず片目を失明してしまった。
 その際に治療に当たった眼科医 黒川武一郎が、翌明治36年に学会でこの件を発表したことで、紫鉛筆の有毒性が世間に知られることとなった。
 この学生だけでなく、他にも紫鉛筆の芯が眼に入ったことによる事例が複数発生し、文部省は、明治37年(1904年)に紫コピー鉛筆の原則使用禁止令を出した。

202606taimichi2.jpg *大蔵省印刷局 [編]『官報』1904年08月09日,日本マイクロ写真 ,明治37年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2949652 (参照 2026-06-10)



 ここで禁止されているのは、LYRA、Johann Faber、H.C.KURZなどドイツのメーカーだ。また、明治35年の事故で使われていたのはSTAEDTLERのコピー鉛筆だ。日本で普通の鉛筆が学校教育の中にも取り入れられ、普及しだしたのが明治の終わり頃なので、このころはまだ国産のコピー鉛筆は作られていなかったのであろう。

202606taimichi3.jpg*STAEDTLERのコピー用鉛筆。同じ鉛筆で書いた文字で、下は濡らした後。

危険性の正体


 では、紫鉛筆の何が危険なのだろうか。明治35年の事故をきっかけに研究されて、紫コピー鉛筆の芯の問題が明らかになっていく。
 化学の知識がないので、調べて私の理解できた範囲での簡単な説明となるが、まず失明に至るような害を及ぼすのは、コピー鉛筆の芯に含まれる「メチルバイオレット」によるところが大きい。メチルバイオレットはアニリン色素の一種で、コピー鉛筆の芯として、コピーを取るのに適した特性を持っていた。
 メチルバイオレットの「水に溶けて浸透する」というコピーに適した特性が、眼に入った際に涙に溶けて角膜に浸透してしまい、大きな問題を引き起こした。
 ただし、最初の事故以降は、すぐに目を洗浄し薬をさすなどの対応で、大事に至らなかったケースが多かった。最初のケースでは、眼に入ってから時間が経っていたことや、紫コピー鉛筆の芯が及ぼす影響が知られていなかったことが災いした。診察した医師が『風眼』という別の眼の病気の治療法を施したことも重なり、手遅れになって回復に至らなかったのだ。
 また、コピー用鉛筆の芯に含まれるメチルバイオレットは、コピー用鉛筆だけでなく、コピー用のインクにも含まれているが、コピー用のインクによる事故やそれに伴う使用禁止の動きは見られない。これはおそらくインクの場合眼に入る状況が起こりにくかったのと、元から液体であるコピー用インク(=メチルバイオレット)が眼に入った場合、すぐに眼内に広がり即座に激痛を感じるという。そのため、即洗い流す行動が直感的に行われ、大事に至らなかったのではないかと推測される。
 インクに比べて、鉛筆の芯は固めてあるため眼に入ってもすぐには広がらず、時間をかけて溶け出す。更に粘土質の物質が混ぜられているので、眼の中で張り付いてしまい、結果的に局所的に大きなダメージを与えてしまう可能性がある。

202606taimichi4.jpg*東京丸善工作部の早印刷(こんにゃく版によるコピー)用のインキの箱。コピー用のインキは紫が主流だった。明治20~30年代頃

コピー用鉛筆の改良


 紫のコピー鉛筆は、その後どうなったのか。
 紫のコピー用鉛筆で起きたことを知る前から、なんとなく「何かの問題が起きて、その後改良されたらしい」と思っていた。それは、私のコレクションの一つであるコピー鉛筆の台紙に「無害」と明記されているからだ。

202606taimichi5.jpg*大正頃のSTAEDTLERと真崎市川鉛筆のコピー用鉛筆。真崎市川鉛筆(現在の三菱鉛筆)がSTAEDTLERをお手本に国産したものと推測。



202606taimichi6.jpg*「無害」と印刷されている。(シールではない)。禁止令を受けて、何らかの改良がくわえられたものであろう。



 今回、実際に起きたことが分かったことで、「すぐに洗えば大事に至らない、とわかっていても子どもも使っていたようだし、文部省からは使用禁止令、学校からも排除の措置が取られていた状態では、対処しないわけにいかなかったのだな。」と辻褄があった気がした。だがコピー用鉛筆の芯に適したメチルバイオレットに代わる染料があったのだろうか。
 どうもメチルバイオレットを安全性の高い別の染料に切り替えた、などという根本的な対応ではなかったようだ。当時はほとんどが輸入品である上に、そう簡単に都合のいい代わりの染料が見つかるはずもない。
 では、一体何が変わったのだろうか。
 思い浮かぶところとしては「芯を削るときに折れて眼に入るのが問題」だったので、「粘土質の成分を増やして折れにくくした」程度の改良だ。更に、芯の破片が手につき、そのまま目をこすってしまうというリスクを回避するためにキャップを付けたことも考えられるが、コピー用鉛筆の芯は通常の芯より折れやすいので、それを保護するためにもともとキャップをつけていた可能性もあり、何とも言えない。
 つまり、この表記は「無害」であって「無毒」ではない。有害物質でも口に入れなければ大丈夫といったレベルの、結果的に害がなければOKという意味で、できる範囲で多少の改善を試みたといったところだろうか。

海外の状況と「メチルバイオレット」について


 同じような事故は、海外でも発生していた。紫のコピー鉛筆の有害性を指摘したのは、1888年にドイツの医師Silexによるものが最初だったという。※2日本でコピー鉛筆どころか普通の鉛筆もまだあまり普及していなかった頃に、海外ではすでにこの鉛筆の問題が確認されていた。ドイツ以外でも、アメリカ、イギリスなどで紫のコピー鉛筆の欠片が眼に入ったことによる事故の報告やそれに伴う研究結果が報告されており、アメリカの医学雑誌「JAMA」の過去の記事でも確認することができる。
 そもそもメチルバイオレットとはどういうモノなのだろうか。実はメチルバイオレットに近しい化合物として「ゲンチアナバイオレット」という化学染料がある。そしてこれらは、「ピオクタニン」の名称で医療現場として長年使われていた。使用用途としては消毒薬とマーキングだ。(メチルバイオレットとゲンチアナバイオレットは厳密には異なる化合物のようだが、ほぼ同じものとして扱われていることが多いようなので、ここではまとめさせていただく。)
 メチルバイオレット、ゲンチアナバイオレットは強い殺菌作用があるため、消毒薬として使われていた。それは1890年にドイツの眼科医Stillingにより、「ピオクタニン」の名前で目薬として紹介され、事故の発生した明治35年当時も広く使われていたことが、前出「毒の話」にも書かれている。
 その後目薬としての使用はなくなったが皮膚への消毒薬として使われていた。塗ると痛みを伴うがよく効く消毒薬だったときくと、そういえば子どものころに「染みて紫色になる消毒薬」があったような気がする。
 マーキングは患部の目印の他に、細胞レベルで着色できる特徴を生かして実験や非常に繊細な部位の特定に使われていたという。

202606taimichi7.jpg*American Lead PencilのPerpetual Pencil(万年鉛筆。ロケットペンシル。1897年特許)の芯。コピー用で紫色。光を当てるとインクの成分なのか、黄味がかかった色に光る。

メチルバイオレット、二度目の退場


 このように医療の現場でも使われていたメチルバイオレットだが、鉛筆としては危険物となった。その違いは濃度と性質となる。医薬品として使われているメチルバイオレット、ゲンチアナバイオレットは、何百倍にも薄められたものだが、鉛筆の芯は高濃度のメチルバイオレットであり、且つ塊で粘性もある。薬の作用があるものも使い方によっては劇薬になるという一例だ。
 なお、文部省より明治37年に発令された紫のコピー用鉛筆の原則使用禁止令は、その後解除された様子はない。恐らくより便利なコピーを取る手段が増えていったこと、紫以外のコピー用鉛筆があったことなどから紫のコピー用鉛筆自体が使われなくなり、解除する必要性がなかったのであろう。そしてもちろん当時医薬品として使われていたメチルバイオレット、ゲンチアナバイオレット、ピオクタニンは使用禁止にならなかった。
 では、メチルバイオレット、ゲンチアナバイオレット、ピオクタニンはその後どうなったのか。調べてみると現在は使用禁止となっている。驚いたのは、使用禁止になった年だ。厚生労働省から原則使用禁止令が出されたのは、令和3年2021年12月28日だった。
 令和3年!(年末なのでほぼ令和4年!)120年前のことを調べていたら、いきなり現代に引き戻されたようで衝撃を受けた。これは120年前の紫コピー用鉛筆の使用禁止令と関連はあるのか。
 令和3年の禁止令の理由は「遺伝毒性及び発がん性が認められた」とある。120年前には、鉛筆芯の形状と限定されるものの、見て分かる破壊力で退場となった。この時点では医薬品としては残っていたのでイエローカードのようなレベル感だろうか。
 その後120年かけて、薄めたとしてもDNAや細胞レベルで悪影響を及ぼすということが分かり、今度はレッドカードが出された。明治時代と令和の現代において違う形で確認されたが、ベースはこの物質の強い殺菌力と浸透力に紐づいているのだろうと、素人なりに理解した。

202606taimichi8.jpg*厚生労働省が出した通達。クリスタルバイオレットはゲンチアナバイオレットの別名。https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00tc6384&dataType=1&pageNo=1

おまけのダーマトグラフ


 メチルバイオレット、ゲンチアナバイオレットが皮膚にマーキングするために使われていたと聞き、ダーマトグラフを思い出した。ダーマトグラフを知っているだろうか。太めの柔らかい芯が紙に巻かれた色鉛筆で、芯が短くなると軸に仕込まれた糸を引いて紙を破り、剝くようにはがして使う鉛筆だ。
 芯に油性分が多く、何にでも書ける色鉛筆のイメージだが、「ダーマト(Dermato)とは実は「皮膚」の意味で、もとは患部に目印をつけるために使われていた。同じ皮膚に使う鉛筆なので、ダーマトグラフにもメチルバイオレットは使われていたのではないだろうか。調べてみると、やはり以前は使われていたようだが、現在は安全性から使用されなくなっているとある。
 ダーマトグラフの芯は折れて飛び散るというリスクは低いと感じられるが、古いものにはメチルバイオレットが含まれている可能性が高いので、取り扱いに注意が必要だろう
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202606taimichi10.jpg*地球鉛筆のダーマトグラフ。日本語商品名が「地球皮膚用鉛筆」となっているところに歴史を感じる。戦前頃。

コピー用インクの実験へ


 今回、コピー用鉛筆について調べたことで、コピー用インキの危険性についても理解が進んだ。コピー用インキでコピーの実験をしたくて、何年も前にコピー用インキを手に入れたのはいいが、曖昧に「危険らしい」ということしかわからなかったので、開封もできず、扱いに困っていた。
 飛び散らせてしまったり、インクが付いた手で眼をこするようなことをしなければ大丈夫そうだということと、万一何かあればすぐに洗って眼医者に行く。(幸い自宅のすぐ近くに眼医者がある!)それを踏まえて注意して扱えば、開封して実験ができそうだ。
 おそらく100年ほどたっている「VIOLETTE NOIR」。日本語で濃い紫、または黒スミレ色はどのような色なのだろう。たくさんあるので、開けたら保存できるように移し替える瓶も用意しよう。こんにゃく版と直接紙を濡らすコピーと両方できそうだ。こんにゃく版を作るには何を用意すればよかったかな。 実験をしたら、その様子はまたこの連載で。

202606taimichi11.jpg *おそらく100年以上前のコピー用インク。未開封で中身が入っている。色はどちらもVIOLETTE NOIR。色表記はフランス語だが、右はイギリスから、左はフランスから購入。



※1:『毒の話 : 日常衛生』,広原精一郎 著 ほか文堂,明37.4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/837123 (参照 2026-06-07)

※2:Dr.Silexの論文:タイトル: Über Augenschädigung durch Tintenstifte (インク鉛筆による眼の損傷について)、掲載雑誌: Archiv für Augenheilkunde(眼科学アーカイブ)、 第18巻 (Band 18)、1888年刊行

プロフィール

たいみち
古文房具コレクター。明治から昭和の廃番・輸入製品を中心に、鉛筆・消しゴム・ホッチキス・画鋲・クレヨンなど、幅広い種類の文房具を蒐集。
展示、イベントでコレクションを公開するほか、テレビ・ラジオ・各種メディア出演を通して古文房具の魅力を伝えている。
著書「古き良きアンティーク文房具の世界」誠文堂新光社

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